星月学園 〜ちょっと変な1日〜


星月学園。
元は男子校だったが、今年から共学となった学校。
元が男子校だったために、共学になった今も女子は一人しかいない。
音無リンナ。
その少女がこの星月学園唯一の女生徒。
彼女がこの学園に入ったのは、友達に勧められたからだ。しかし、その友達は別の学校へ進学した。
なので、彼女一人がこの学園に通っている。
男子の中にたった一人の少女。前理事長はそんな彼女のことを気にかけている。
星月琥春。
前理事長で、現理事長の姉。
理事長の職を辞してからも時折学園に姿を現す。主に、彼女の前に。
本来なら、男子の中に女子一人だったら、女子は転校するだろう。しかし、彼女は転校しない。それどころか、転校する気配すら見せない。
その理由は――――――――


「星月先生、お呼びですか?」
 リンナが、保健室に入ってきながら言う。
 だが、入っていった保健室は足の踏み場がない。しかし、リンナは気にせず、片しながら星月先生と呼ばれた人物に近づく。
「音無か。頼みたいことがあるんだ」
 呼ばれて、振り返った青年。
 星月琥太郎。
 現理事長であり、保健医。
「掃除だったらお断りしますよ」
 リンナが笑顔で返答する。
「・・・」
 琥太郎が少し、眉尻を下げ、八の字にする。
 この保健室はリンナが掃除をしない限り、きれいになることはない。
 だったら、琥太郎がやれと陽日に言われたが無視をした。無視したのには理由があるが、それをリンナが知るのは先の事だった。
 数瞬、二人は見合っていたが、
「・・・わかりました。でも、星月先生も手伝ってくださいね?」
 と、リンナが折れた。
 それに、ほんの少し、琥太郎が笑った。
「よし。じゃあ、俺は何をすればいい?」
 琥太郎が立ち上がり、リンナを見る。
「そうですね・・・あ、じゃあ必要な書類だけをこの箱に入れてください」
 そう言って、空の段ボールを琥太郎に差し出す。
 琥太郎はそれを受け取り、リンナの近くにあった書類に手を伸ばす。
「なんで、そこから始めるんですか?」
「音無の掃除に邪魔になるだろう?」
 琥太郎がさも当然のように言った。
 それにリンナはきょとんとしたのち、
「そう思うなら、こまめに掃除をしてください」
と言った。
「音無が掃除をしてくれるなら、必要ないだろう? 俺は忙しいんだ」
 書類を整理しながら、言う。
 それにリンナは絶句したが、気を取り直して、掃除を始める。
「それにしても、なんで短期間でこんなに物が増えるんですか」
 リンナは不必要なものを選別しながら、聞いた。
「それは・・・」
 琥太郎が言いにくそうにしていると、突然、けたたましい音を立ててドアが開いた。
「音無はいるか!」
 少し、息を切らしながら来たのは、陽日直獅だった。
 リンナの担任だ。
「はい」
「どうした?」
 琥太郎がいぶかしげに聞いてくる。
「お前、昼休みまでのプリント提出しなかっただろ!」
「え?」
 リンナが思い出すように、目を閉じる。
「・・・・・・あ!」
 思い出したようだ。
「まったく、今すぐ出せば許してやるから早く持って来い!」
 陽日のその言葉に反射的にリンナの体が動いた。
「星月先生! 提出してから戻ってきますから、掃除続けてくださいね!」
 リンナは駆けて保健室を出て行った。
「はあ・・・」
 琥太郎が深いため息を吐いた。
「どうしたんだ? 琥太郎センセー」
「・・・なんでもない」
 琥太郎は陽日を短く睨んで、脱力した。
「お前にはわからないさ」
「?」
 陽日は首を傾げてから、不思議に思いながらも保健室を出て行った。
 保健室には、琥太郎だけが残された。
「・・・」
 琥太郎は上を向いて、目を閉じた。

「はあ・・・はあ・・・はあ・・・」
 リンナは走っていた。
 陽日にプリントを提出した後、生徒会に捕まり、保健室に戻るのが遅くなってしまった。できるだけ早く保健室に戻るために全速力で走っている。
 リンナは保健室までの近道を通ろうと、廊下を曲がろうとした。その時、
「きゃっ!」
 急いでいたので、誰かにぶつかってしまった。
 だが、尻餅をつくより早くぶつかってしまった人物に腕を掴まれて、なんとか尻餅をつかずに済んだ。
「すみませんネ〜。大丈夫デシタカ〜?」
 ぶつかった人物は白髪で左眼を前髪で隠していた。 
 この学校では誰も着ていない服を着ていたので、リンナは驚いて、目をぱちくりさせた。
「大丈夫そうデスネ。では、一緒に来て貰いましょうカ」
 ぶつかった人物はリンナをひょいとお姫様だっこすると、軽快に廊下を駆け抜ける。
「あの・・・ちょっと・・・!」
 リンナはよく状況を把握していないのか、困惑しながら白髪の男の服を掴み制止しようとする。
「おっと、そうデシタ。私の名前はザークシーズ・ブレイクと申しマス」
 ブレイクが抱えられているリンナに笑みかけながら自己紹介する。
「わ、私は・・・」
 混乱しているのか、リンナも自己紹介をしようとする。
「知っていますヨ。音無リンナさんデショ? オズ君が言っていましたからネ」
「オズ君?」
「ええ。私の部下のようなものデス」
 ブレイクはリンナを抱えながら、器用に扉を開ける。
 瞬間、風がぶわっと吹いた。
 リンナが突風に目をつぶり、風が収まると、目を開けた。
「ここは・・・屋上?」
「ハイ。ここから行くんデスヨ」
「行く? 一体どこに・・・」
「お嬢様!」
 ブレイクがリンナの言葉を遮って、誰かに呼びかける。
『遅いですわよ、ブレイク』
 どこからか、女の人の声がする。
「すみません。見つけるのに時間がかかってしまいマシテ」
『まあ、いいです。道は繋げてありますから』
「わかりマシタ。すぐお連れしますヨ」
 突然、ブレイクの影が渦を巻いた。
「それでは行きましょうカ」
「だから、行くってどこに・・・」
「『ワンダーランド』デスヨ」
 ブレイクは意味深な言葉と笑みを浮かべ、リンナを見る。
 次の瞬間、二人は影の渦に呑み込まれた。

「もう着きましたヨ」
 リンナが目を開けると、そこには城かと思うくらい大きな屋敷があった。
「ここは・・・?」
「レインズワース侯爵家の屋敷デス」
 ブレイクはリンナを慎重におろしながら、説明を続ける。
「私たちがあなたをここにお連れしたのは、他でもありまセン。元はオズ君の頼みだったのですが、私自身があなたをこの地にお連れしたいと思ったからデス」
 ブレイクが先程までの笑みとは違う、少しはにかんだような笑みを浮かべる。
 それにリンナは少し、安心したのか、
「それで、私をここに連れてきてどうするつもりなんですか?」
 混乱した頭は冷静になったようだ。
「何もしませんヨ。ただ、ここを案内するだけデス」
 ブレイクはリンナの手をひいて、歩いていく。
 二人はレインズワース邸の中に入っていた。
 半ば、手を繋いだような状態でブレイクにリンナはついて行った。
「まずは、君を知っていた人物を紹介しなければネ」
 ブレイクは空いているほうの手で扉を開ける。
「あ〜! ブレイク、おっそいよ! リンナちゃんを連れてきたなら早く来てよ!」
 金髪の少年がぷんぷんと怒っている。
「・・・」
 その少年の隣で長身の黒髪の男が探るような視線をリンナに送る。
 それにリンナはビクッとしたあと、ブレイクの後ろに隠れた。
「ちょっと、ギル! そんな目で見たら、リンナちゃんが怖がるだろ!」
 少年がギルと呼ばれた黒髪の男に怒鳴る。
 それにギルはしゅんとした顔になった。そんなギルを放置して少年がブレイクの後ろにいるリンナに近づいてくる。
 そして、リンナの手を取り、
「俺はオズ。かわいいお嬢さん、この後俺と一緒にお茶しない?」
 オズがホストのような笑顔で言ってくる。
 それにブレイクが無言で頭にチョップを食らわした。
「いってえ! 何すんだよ!」
 オズがチョップされた頭を押えながら、ブレイクを睨む。
「何をするは、こちらの台詞ですヨ。あなた、リンナさんにそんなことをしても意味がないのは知っているでショウ?」
「知ってるけど、女の子をお茶に誘うのは俺のステータスなんだよ!」
 オズがなおも、ブレイクに食い下がる。
「彼は、オズ・ベザリウス君です。先程、彼に怒鳴られたヘタレはギルバート・ナイトレイ。私たちをここにお連れしたのは、シャロン・レインズワース様です。そして・・・」
 ブレイクが一人ひとり指し示しながら、言う。間を置いてから、机の上の肉を貪り食っている少女を指さす。
「彼女はアリス。オズ君があなたの事を知ったのは彼女を伝ってなんデスヨ」
「へ、へえ・・・」
 リンナはまたしても、状況が把握できなくなった。
「ほはへははふはほはひふほんはは?」
 アリスが口いっぱいに肉を頬張りながら何かを言っている。
「?」
「アリス君。口の中のものを処理してからしゃべりなさい」
「ゴクン。うるさい、このピエロめ!」
 アリスがブレイクに威嚇する。
 それを呆然と見ていると、オズが耳打ちしてきた。
「さっきアリスは、『お前がオトナシとかいう女か?』って言ったんだよ」
「そうなんですか?」
「うん」
「えっと・・・。はい。私が音無です」
 リンナは威嚇している、アリスに向かって言う。
「うむ。やはりそうか。そのような気が私にはしたのだ。私は頭がいいからな!」
 アリスが満足そうにうなずく。
(そこに頭の良さは関係あるのだろうか・・・)
 リンナは内心で疑問を思った。
 アリスは椅子の背もたれに片足をかけ、高々と笑っていた。

 それから、オズの言った通りみんなでお茶をすることになった。
 大きめの丸いテーブルを囲むように、シャロン、ブレイク、リンナ、オズ、アリス、ギルバートという席順で座った。
 ブレイクは大量のケーキを持ってきて、ギルバートは紅茶を一人ひとりにふるまった。
 出された紅茶を一口、リンナは飲んだ。
「・・・おいしい!」
 驚いたように、ブレイクの紅茶を淹れているギルバートを見る。
「・・・」
 ギルバートはそっぽを向いた。
「ギルはね〜。料理が得意なんだよ。しかも、プロのシェフ以上!」
 オズが、リンナの顔を覗き込みながら言ってくる。
「そうなんですか!?」
 また、驚いたようにギルバートを見る。
「・・・ああ」
 すると、渋々答えた。
 初めてギルバートの声を聞いたリンナは目をぱちくりさせた。
 そして、ギルバートを見つめた。
 ギルバートは少し、照れたように顔を赤くして顔をそむける。
 リンナが何を考えているのかを知らずに。
 リンナは、
(この人、便利だな。料理ができるなら楽だ)
と、考えていた。
 そのリンナの横顔を二人の人物が見ているのも気づかずに。
 しかも、一人はおもしろくないというふうに眉間を寄せている。片目が隠れているが。

 お茶会はリンナが席を立ったことでお開きになった。
 リンナはベランダで、一人風に当たっていた。
 その時、窓が開く音がして、振り返った。
 そこには、ブレイクがいた。
「どうでしたカ? お茶会は?」
 リンナの隣に立って、ブレイクが微笑みながら、聞いてくる。
「楽しかったです。紅茶も美味しかったですし、ケーキもかわいくて、食べるのがもったいなかったくらいです」
 ブレイクに満面の笑みをリンナは向ける。
 それに、ブレイクはふいっと顔をそむけた。
 なぜ、ブレイクが顔をそむけたのかはリンナは知らない。
「それはよかったデスネ〜。では、街の方も案内しましょうカ?」
 ブレイクがリンナの手を握り、引っ張る。
 それにリンナも内心うれしかった。
 初めて出会った相手にここまで心を許すのは、なにかがあるのかもしれない。
 リンナもブレイクの手を握り返した。
 二人の手はきつく繋がれている。
 そして、二人は街へと繰り出した。
 街をブレイクは案内している。
 その間も手は繋がれている。
 迷子にならないように。
 離れないように。
 その二人の姿はまるで・・・。
「まるでさ。恋人みたいだよね〜」
 オズが建物の陰で言う。
 どうやら、二人をつけてきたようだ。
「そうですわね。ブレイクがあそこまで嬉しそうなのは初めて見ましたわ」
 シャロンも驚いたように建物の陰から見る。
 その二人の横ではギルバートが溜息を吐いている。
「お前ら。いい加減にしろ」
 ギルバートが少し呆れ気味に言う。
「何だよギル。ちょっとくらいいいじゃんか」
 オズがふて腐れたように頬を膨らませる。
「まったく・・・。あいつにとっては、今日一日だけの逢瀬なんだ。好きにさせてやれ」
 ギルバートが二人を諭すように言う。
「・・・わかってるよ。俺がリンナちゃんのことをブレイクに言ったんだから」
 オズが先程とは変わって真剣な表情になる。
「最近、首狩りのことでブレイク忙しそうだったし、息抜きくらいにはなるかなと思って言ったんだから。ま、思った以上の効果はあったみたいだし、それに呼ばれた本人も楽しそうだからいいんじゃない?」
 オズはそういって、リンナとブレイクの背中を見る。
「オズ・・・」
 ギルバートが感心したようにオズを見る。
「ところで、ギル」
「うん?」
「アリスはどこいったの?」
 その言葉にギルバートはあたりを見渡す。
 姿がない。
「・・・あんのバカウサギ!」
 ギルバートは走り出した。
 それを追うように、
「俺も探すよ!」
「まあまあ」
 と、オズとシャロンも探し始めた。

 ブレイクはふと、背後を見た。
(やっと、いなくなりましたカ)
 ブレイクが一つ息を吐く。
「どうかしましたか?」
 リンナが心配そうにブレイクの顔を覗き込む。
「いいえ、なんでもありませんヨ」
 ブレイクはそう言って、笑う。
 それに返すようにリンナも笑った。
 リンナの笑顔が夕日で赤く染まり、ブレイクは少し悲しそうな表情をした。
「?」
「そろそろ時間のようですネ」
「時間?」
「そうデス。もとの世界に帰る時間デスヨ」
 ブレイクが悲しそうに笑う。
「・・・そう・・・ですか」
 リンナがうつむく。
 楽しかった時間もお終い。
 新しく出来た友人や、少し大切な人ともお別れをしなければいけない。
「今日は、ありがとうございました。とても、楽しかったです」
 少し悲しみを宿した表情でリンナが笑う。
 それに、思わずブレイクの手が伸びる。
 そして、ブレイクはリンナを抱きしめた。
「!?」
 リンナが困惑したように、ブレイクを見る。
 だが、ブレイクの顔はリンナの肩に乗せられていて、見ることができない。
 どこか、泣いているようにも見える。
「ぶ、ブレイクさん?」
 リンナがなだめるように声をかける。
「・・・初めて、名前を呼んでくれましたね」
 嬉しそうにブレイクがつぶやく。
「え? そうでしたっけ?」
 思い出すように、リンナは眉間に皺を寄せる。
「ええ。そうデスヨ」
 ブレイクが顔を上げた。でも、まだ抱きしめたままなので顔が近い。
「・・・!」
 リンナは恥ずかしくなって、顔をそむける。
 すると、ブレイクから小さな笑い声が聞こえた。
 リンナがそれに気づいて、ブレイクを見ようとしたら、ブレイクがリンナから離れた。
「さあ、帰りましょうカ」
 ブレイクはまたリンナの手を引いた。
 今度はさっきよりも強く、絶対に離れないかのように、握られていた。
 それにリンナも握り返した。
 そして、二人はレインズワース侯爵邸に戻った。

 レインズワース侯爵邸では、四人が待っていた。
「おかえり、二人とも」
 オズが笑顔で出迎える。
「お別れだね〜。本当はもっといてほしいんだけど、本来居るべき次元とは違う場所に長い時間いちゃいけないんだってさ」
 オズが恨めしそうに、ギルバートを見ながら言う。
「・・・」
 ギルバートは視線をそらした。
 それにクスッとリンナは笑い、居住まいを正してから、
「今日一日、お世話になりました」
 と、リンナがぺこりと頭を下げる。
「いえいえ。こちらこそ、ブレイクがお世話になりましたわ」
 シャロンがにこやかに笑う。
 それに笑みで返す。
「・・・パンドラの箱の中には絶望だけでなく希望も入っていることを、忘れないでくださいね」
 リンナは全員に聞こえるように言った。
「・・・リンナちゃん?」
 オズが聞いてくる。
「ようするに、別れてもいつかはまた会えるということです!」
 リンナが満面の笑みで言う。
「そう・・・だね!」
 オズも笑う。
 全員が笑う。
 そして、別れの時。
 この世界に来た時とは違い、帰りはギルバートが何かをするらしい。
「では、ギルバート君。よろしくお願いします」
 ブレイクはリンナを抱き上げる。
「ああ」
 ギルバートは手袋をはずして、何かをした。
 すると、ブレイクの立っている位置が光る。
「じゃあ、またね。リンナちゃん!」
 オズが手を振ってくる。
 それにリンナも答えて、手を振る。
「楽しかったです。ありがとうございました!」
 リンナは少し涙声になりながら言った。
 そして、リンナとブレイクの姿は闇に消えた。
 残された四人はリンナの言った言葉を反芻していた。

『パンドラの箱の中には絶望だけでなく希望も入っていることを、忘れないで』

 そして、全員が笑った。



 なんだろう。これはいわゆるフリーフォールなのだろうか。
 あまりにも落下している時間が長くて、吐きそうだ。
「・・・」
 リンナが口に手を当てていると、
「大丈夫デスカ?」
 とブレイクが聞いてきた。
 正直答えるのは難しい。
 なので、頷くだけにした。
「たぶん、そろそろ着くかと思うのですが・・・」
 その言葉通り、下に明るい穴が見える。
 そして、二人はゆったりと到着した。が、
「・・・ここは一体どこでしょう?」
 まったく知らない場所だった。

「柊」
「はい、主様」
「夏目を呼んできてくれるか?」
「わかりました」
 柊はシュッと消える。
「ふう・・・」
 名取は一人、夏目と初めて出会った草むらで佇んでいた。
 他に人がいないでもない。
 それでも騒がれないのは、ただ単に変装しているからだ。
 名取が目を閉じて、一息ついていると異様な気配を感じて背後を振り返る。
 そこにはお姫様だっこされている少女とお姫様だっこしている男性がいた。
「・・・ここは一体どこでしょう?」
 お姫様だっこされている少女がつぶやく。
「・・・どうやら、別の次元に来てしまったようデスネ〜。まったくあのヘタレは」
 と、男性が誰かに向かって悪態をついている。
 その時、少女と目があった。
「・・・」
「・・・」
「・・・どうかしましたか?」
 名取は沈黙に耐えられず、聞いた。
 それにあからさまに男性の方が睨んできた。
「あの、ここはどこでしょうか」
 男性にお姫様だっこされている少女が、男性におろしてもらってから聞いてきた。
「どこって・・・」
 名取は困ったようにこめかみをかく。
「君たちは迷子かなにかかい?」
「えっと・・・そうです!」
 少女は何かを考えた後、強くそう答えた。
「リンナさんは少しの間、ここで待っていてくだサイ。私は一度、影から戻ってギルバート君と話をしてきます」
「え・・・はい」
 リンナが心配そうに男性を見る。
「ブレイクさんもお気をつけて」
 リンナがブレイクを心配そうに見ながら送り出す。
「ええ。そこのアナタ。リンナさんを私が戻るまでお願いしますヨ?」
「え?」
 名取は急な指名に驚いた。
「い・い・デ・ス・ネ?」
 ブレイクが名取をじとりと睨みながら、肩に乗っていた人形の首をギュウと締める。
 背中に嫌な汗が流れるのを感じた名取は、頷いた。
 それに嫌な笑みを浮かべたブレイクはふっと自分の影に消えた。
「!?」
 名取が驚いたように影のあった場所を見る。
 そこに変化がないのを見ると、リンナを見た。
「えっと・・・とりあえず、自己紹介からかな。私の名前は名取周一と言います。一応、俳優をやっています。よろしく」
 名取が変装を解きながら、言う。
 なにやら背景がキラキラしている。
「私は音無リンナと言います。えっと、高校生です」
 リンナがおずおずと自己紹介する。
「高校生か。この辺では見ない制服だけど・・・」
 と、名取がリンナの制服を見る。
「とりあえず、お連れさんが戻るまで街を案内しようか。どうやら、待ち人も忙しいみたいだし」
 名取が背後を見ながら言う。
 そこには何も見えないが。
「?」
「いや。こちらの話さ」
 名取が微笑む。
「じゃあ、行こうか」
「でも・・・ブレイクさんがここで待ってろって・・・」
「あの言い方だと当分かかるだろうし、少しくらい大丈夫でしょう。それにお互い暇をつぶさないとね」
 と、ウィンクをしてきた。
 おそらく、ここに猫を連れた少年がいたら気持ち悪い! と言っているだろう。
 と、なぜかリンナは直感した。

 そして、二人は森を歩いた。
 なぜ森なのかというと、
「きらめいてて、ごめん」
 そう。
 この場所では、名取周一を知らない人物はいないくらいに有名な俳優らしい。
 街を歩いていては大変な騒ぎになる。
 そのため、森のなかを歩いていた。
 この森は八ツ原というらしい。
「ここは、いろいろなものがいてね。それに寺もあるんだよ」
 と、先を歩く名取が案内する。
「いろいろなものって?」
「う〜ん。説明が難しいんだけど・・・。君は、妖怪、というものを信じるかい?」
 名取が少し、困ったように言う。
「妖怪・・・ですか?」
 リンナが少し、戸惑うように眉を八の字にする。
「そう。私は俳優だけど、裏では妖祓いをやっていてね・・・って、どうして、君にこんなことを話しているのかな。どうせ、信じてはもらえないのに」
 名取が自嘲気味に笑う。
「し、信じます!」
「え?」
「だって、よくマンガとか小説とかで取り上げてるじゃないですか! だったらいるっていうことでしょう?」
 リンナが少しムキになって言う。
「・・・」
 名取が驚いたように、目を見開く。
 そして、ぶつぶつとリンナの言葉を反芻すると、急に笑い出した。
「くくく・・・。君は素直で正直なんだね。はあ・・・久しぶりにこんなに笑ったよ」
 名取が笑っている。
「そんな娘だからかな。こんなに隠さず話すのは。友人にさえこうは話さないのに」
 思い出すように話す。
「友人?」
「ああ。俳優仲間とかじゃなくてね。私と同じように妖怪が見える少年なんだ。君と同じ高校生だよ」
 いろいろ無茶をするこなんだけどね、と苦笑しながら名取が言う。
「へえ」
(妖怪が見えるって、いいな。その子にも会ってみたい)
 リンナがそんなことを考えていると、
「ここがその寺だよ。この寺には友人がいてね・・・・・・おや?」
「どうかしたんですか?」
 名取が何かを探るように、寺の門を見る。
「いや・・・いつも、この寺を守るように姉妹の妖怪がいたはずなんだけど・・・」
「あれ? 名取さん。どうしたんですか、こんなところに・・・」
 後ろから声をかけられて二人は振り返る。
「田沼君。いや、ちょっと暇つぶしに八ツ原を彼女に案内していてね」
「八ツ原を? ここで話すのもなんですし、上がりますか?」
 田沼が寺の中に二人を招き入れる。
「それで、彼女と名取さんはどんな関係なんですか?」
「それを聞くかい?」
 なにやら怪しげに名取がにやりと笑いながら聞き返す。
「偶然! 偶然会いまして、私のその、知り合いが戻るまで時間があって、その間この人にこの辺りを案内してもらってたんです!」
 と、リンナが必死に弁明する。
「なるほど」
 田沼が納得したようにお茶をすする。
 その時、ふいにリンナが外を見た。
「どうかしたか?」
 田沼が聞いてくる。
「いえ・・・何か、嫌な感じがしたので・・・」
 リンナの見ている方向で、ある少年とある妖怪が出会っていた。
「失礼しますヨ〜」
 その時、障子がスラッと開いた。
「あ、ブレイクさん」
 リンナが障子を開けた人物を見て、明るい声で言った。
「まったく、リンナさん。待っていてくださいと言ったではないデスカ」
 勝手に入ってきたブレイクが咎めるようにリンナを見る。
「すみません・・・」
「それより、帰る準備ができましたヨ。どうやら、あのヘタレ。座標を間違えたようで」
 ブレイクは少し、苛立っているような様子でいる。
「じゃあ、そろそろお暇しようかな」
 名取が立ち上がる。
「あなたね。私はきちんと頼んだはずデスガ?」
 ブレイクが名取を睨む。
「ちゃんと彼女を見ていただろう? あの場所じゃ、とくにやることもないからね。散歩をしていたのさ」
 名取はそんなものどこ吹く風のように受け流す。
「・・・まあ、いいデス」
 ブレイクはリンナの手を取ると、名取や田沼たちに会釈をして、帰ろうとした。
「あ、ちょっと待ってください」
 ブレイクをリンナが制止する。
「あの、今日は短い間でしたがありがとうございました」
「歩くのに疲れなかったかい?」
「確かに疲れましたけど、楽しかったです」
 リンナが名取に微笑みかける。
「そうかい? ならよかった」
 名取も微笑んだ。
「・・・友人」
「え?」
 名取がよく聞こえなかったように、リンナを見返す。
「・・・友人はいつもそばにいます。だから、友人を頼り、友人の力になってあげてください」
 リンナが柔らかく微笑んでみせる。
「・・・そうだね。そう、友人にも伝えておくよ」
 名取が優しそうな声で答える。
 そして、リンナは名取と田沼にぺこりと頭を下げると、ブレイクと一緒に帰って行った。
「・・・彼女、夏目と面識があるんですか?」
「いや。彼女たちはこの場所にきたこともないらしいから、面識はないはずだ」
「そうですか・・・。でも、さっきの台詞、まるで、夏目に言っているかのようでしたね」
「そうだね」
 名取もうなずいた。
 そして、二人はリンナたちが去った方向を見た。


 はあ・・・。また、フリーフォールか。
 もう嫌だ、この感じ。
「・・・気持ち悪い」
 リンナが呟く。
「おや、大丈夫デスカ?」
 ブレイクが心配そうにリンナの顔を覗き込む。
「だ、大丈夫で・・・キャッ」
 急に落下する速度が止まったかのようにゆるくなったのに驚いた。
「今度はちゃんとたどり着いたようデスネ」
 ブレイクはリンナの体勢を整えるように立たせる形にする。
「そろそろお別れデス。あ、そうだ。これをあげましょう」
 そう言って、ブレイクは肩に乗っている人形と同じ形をしたストラップをリンナの手に持たせた。
「記念にこれをあげマス」
 ブレイクはストラップを持たせたリンナの手をぎゅっと握り、悲しそうな笑顔を浮かべて、
「・・・どうか、今日のことを忘れないでくだサイ」
 と切なそうに言った。
「忘れたりなんかしません。こんな楽しかったことを」
 リンナが満面の笑みでブレイクを見て、自分の手を握っているブレイクの手を握り返した。
「・・・ありがとう」
 そういって、ブレイクはリンナの手を放した。
 すると、ブレイクはその場に留まって浮いていた。だが、リンナはまた落下を始めた。
「ブレイクさん!」
「お元気で。楽しかったですヨ」
 ブレイクは落ちていくリンナに手を振る。
 そして、リンナは落ちて行った。


「・・・し! ・・・となし!」
 誰かが呼んでいる。
「おい、音無!」
 目を開けてみると、星月先生の顔が近くにあって、私を覗き込んでいた。
「・・・星月先生?」
 おぼろな意識のまま、心配そうに自分を見る琥太郎を見返す。
 そして、少しずつ意識がはっきりしてきて・・・
「〜〜〜〜〜〜〜!」
 声にならない叫びをあげて、ベッドのふちに逃げた。顔を真っ赤にして。
「大丈夫か? 音無」
「は、はい! ってここは・・・?」
「保健室だ。お前、覚えてないのか?」
 琥太郎が少し目を見開く。
「え?」
「お前、階段を踏み外して気を失ってたんだぞ」
「そうだったんですか・・・」
 思い出そうと、必死に頭を動かすが全然思い出せない。
「ありがとうございます」
「礼なら、ここまで運んできた木ノ瀬に言ってやれ」
 琥太郎がベッドのふちに座りながら言う。
「梓くんが?」
「ああ。すごく必死な顔でお前を連れてきた」
「・・・そうだったんですか」
 後でお礼を言わないと、と思っていると、急に琥太郎に両ほほを掴まれた。
「・・・」
「・・・」
 琥太郎の顔が至近距離にある。
 軽くリンナの頭はパニック状態だ。
「あ、あの・・・」
「二度と、危ない真似はするな。・・・・・・俺の心臓が止まるかと思ったんだぞ」
「・・・はい」
 嬉しそうにリンナは琥太郎に身を傾けた。
 それを琥太郎も受け入れた。
 琥太郎はリンナをぎゅうと抱きしめ、溜息を吐いた。
「・・・本当に良かった」
 リンナも琥太郎の背に手を回し、抱きしめあった。
 そして、リンナの寝ていた枕の隣には、不気味な人形のストラップが置かれていた。



――――――――――――――――――――
By.佳春